ネット塾の将来は

「ネット塾の将来は」と題するこの記事ですが、やはりみなさん、ネット塾やeラーニングの未来が気になりますよね。学校や塾・予備校がなくなるんじゃないかとか、大学もサイバー大学になるのではないかとか・・・。物理的には、従来の教育システムは、かなりの部分インターネット化できるので、そう思われるのでしょう。

教育の主流はネット上に

筆者が思うに、それは一面正しい。教育システムの主流はネット上に移行するでしょう。もちろん、教室での授業を中心とした旧来型の学校システムも残りますが、メインストリームからは外れる。

例えば、小中高校を6-3-3から4-4-4に変えようという議論もありますが、もしそうなった場合、小学校4年間は旧来型を踏襲するでしょう。ここは従来の教室でキッチリ “画一的” に教育したほうがいい。人間としての土台の土台ですから。ネット系では基本の基本は徹底できない。

ただ、中盤から後半の4年間+4年間はネット系の教育が徐々に幅を利かせる。単純に教材の質が高品質で低価格だからだ。やっぱり動画授業を使うにしても、トップクラスの人気講師の授業は面白くタメになるし、おまけに安上がりだ。だから、教育システム全体を見ると、ネット系が主流になる。



「教育」そのものも不要になる?

ここで一つ疑問が出ると思うのだが、ネットが普及し、スマホ(スマートフォン)で何でもできる時代になると、「教育」そのものが不要になるのではないかという点。スマホが使えれば、ほとんど用が足りる社会になると、教育を受けるありがたみが無くなるという意見がある。ITシステムの高い普及というハードウェア的な視点です。

また、スマホの時代になると、ソーシャルネットワークともあいまって、今以上に個人の時代(個性重視の時代)になります。下記動画でもホリエモン(堀江貴文さん)が「ソーシャルネットワークの時代は個人の時代だから、ファンが個人に付く」と看破しています。


「個人」が叫ばれる時代に、没個性な画一的教育システムはますます肩身が狭くなる。つまり教育システム自体をソフトウェアとみなし、個人の時代には不要なソフトだと言っているわけだ。ソフトウェア的な視点です。

       ※       ※       ※

しかし、これは違うと思う。確かにスマホが普及し、「個人の時代」にはなる。しかし、その個人の個性を良い方向に導き、拡大するには、人々の支持・共感が必要だ。型破りで個性あふれる銀行員・半沢直樹が人々の心を捉えたのも、そこに「共感」があったからだ。

「教育」が「個性」と「共感」を結ぶ

その共感を醸成するのが「教育」だ。ある程度の画一化された教育システムが、人々の心に共通の土壌をつくる。言い換えれば、「教育」が個々人の「個性」と「共感」を結びつける触媒の働きをする。例えば、教育システムが「言語」を教え、「数学的ロジック」を教え、「社会ルール」を教え、「自然現象」をも教える。その結果、教育を受けた人間の間に共通の認識が生まれる。そして、共感も発生しやすくなる。

個性の時代、個人の時代と言われれば言われるほど、それらを増幅させる「共感」が大切になる。その人々が持つ「共感」を幼少期から育てるのが、教育システムである。だから「教育」そのものは無くなるどころか、ますます重要性が増してくるでしょう。そしてその教育システムの主流は、ネット塾やeラーニングが受け持つでしょう。

「ネット塾」的な形態は、将来も有望なのです。

※参考資料:
都立の小中高一貫校「4・4・4制」 29年度から、MSN産経ニュース、2013年08月22日
授業映像、売上UPへの道は、ネット塾ジャーナル、2013年09月20日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください