受験勉強は役に立つのか?
受験勉強に意味はあるのか? これはシンプルにして永遠の疑問ですよね。児童・生徒・学生さんたちはもとより、大人たちもハッキリ答えられない。私はそう感じています。
「受験勉強」は人生の可能性を広げるための「大学」への登竜門であり、「学歴」は外の世界に出るために大切な足場になる。好きなことをやろう。好きなことをやり、そのための可能性を広げるには受験勉強は決してムダではない・・・
※参考資料: 「これまで誰も教えてくれなかった受験勉強をしなければいけない本当の理由」(秀英予備校、2013年)
この意見は、秀英予備校・リクルート受験サプリ講師の関正生先生と伊藤賀一先生によるものです。一言で言えば(細かいニュアンスは別にして)、部活動・クラブ活動などで鍛えられるのといっしょで、社会に出てから頑張れる “根性をつける・自信をつける” に行き当たります。それに加えて、“大学ブランド・学歴ブランド” の威光もプラスされます。
これは今、一世を風靡している東進ハイスクールの林修先生も、似たような見解を示しています。さらに言えば、筆者も同感です。「根性をつける」的な意味において、受験勉強は意味がある。
この「受験勉強は意味はあるのか?」という設問は、よくあるパターンに「受験勉強は役に立つのか?」に置き換えられます。役に立つのかと問われれば、役に立たない(直接的には役に立ちにくい)。それも事実だと思う。
受験勉強は人間の「内臓」?
しかし、前言撤回みたいで恐縮ですが、「受験勉強は役に立たないが、意味はある」とは言える。受験勉強の内容というのは、自然現象を含めて広く社会全般の現象のウラにある事実(の一部)だと思う。つまり、「人間のカラダ」に例えると、「普段の社会現象」というのは「カラダの外見」にあたり、「受験勉強」は「内臓」に当たる。
受験勉強は、普段見えにくい(広義の)社会の内層を見えやすくしてくれる。英文法を学べば、ネイティブ米国人でさえ意識していない英語のルール・構造が見えてくる。数学を学べば、多くの建造物が数学を背景に設計されていることに気づく。コンピューターや金融の世界は、数学が基盤です。
受験勉強は基礎研究
だから、普段の社会生活の表面において、受験勉強は(直接的に)役に立たない。意味がないように見える。しかし、実は普段気がつかない社会のウラの構造や背景と、受験勉強の内容はかなり符合している。かぶっている。
言い換えると、日常意識しない社会全般の「原点」と受験勉強のコンテンツとは相性がいい。だから、日本のような先進国で、先例がなく自分たちで新たに方向を決めていかざるを得ない国家や社会で、受験勉強のようなアカデミックな学習は、社会を適切に前進させていくために絶対、必要だ。
つまり、受験勉強は人生にとっても社会にとっても、重要な「基礎研究」に当たる。商品化しやすい「応用研究」ではないが、非常に汎用性の高い、でも直接には役に立たない「基礎研究」。受験勉強はその位置づけです。やはり、日本では「受験勉強」は必要なのです。
※参考資料: 秀英予備校初の一般書籍、ネット塾ジャーナル、2013年05月19日