「就活による教育荒廃を防げ」というタイトルの記事が日経新聞に出ていました。株式欄のコラムです。いわく、経済団体が就職活動の開始時期ルールを遅らせたところで、抜け駆けが横行し骨抜きになる。確かにその通り。
丸々2年間を就職活動に費やす
問題は大学4年間のうち、学生が丸々2年間を就職活動に費やすこと。企業に呼び出された学生は、授業や試験を欠席する。これは、企業や学生が大学教育を軽視している証左である。そして実は大学側も、自分たちの提供する教育プログラムが、就職活動より価値があるんだ、と自信を持って言い切れない。
要は、企業・学生・大学の三者とも本音では「大学教育」のクオリティーに疑問を持っている。だから青田買い(古い?)が横行する。
卒業できなくても企業と学生の自己責任
この記事ですごいのはここです。
粛々と授業を行い、学生の出欠も完全に把握し、試験結果と欠席数に基づいて、「不可」の成績評価を遠慮なく出すことである。「不可」を頻発すれば、留年する学生が多くなる。これを文科省としても容認すべきであろう。・・・
大学教育の抜本的な転換が実施されれば、就職活動は自由である。授業期間中に学生を呼び出し、その学生が単位を落として卒業できなかったとしても、それは企業と学生の自己責任でしかない。・・・
※日本経済新聞、2013年07月19日、引用
本来、「大学」は研究・教育機関であり、責任ある研究および教育プログラムを提供するのが本業だ。「学生」はそのプログラムを履修し、単位を取ることで、学術的な知識と情報とノウハウを得る。「企業」は質の高い教育を受けた学生に価値があると判断し、将来性も加味し採用する。
だから、学生と企業が、大学の教育プログラムを軽視すれば、学生は単位を落とし、留年するのもやむを得ない。企業は採用しにくくなる。そうなったとしても、すべて学生と企業の自己責任である。ただそれだけだ。単純にして明快。大学は研究活動とカリキュラムに磨きをかけよう。そして、学生への単位認定は粛々と行おう。
大学は王道を歩めばよい。質の高い教育を提供する努力さえ忘れなければ・・・。