アルベルト・アインシュタインの言葉で、「旅行は好きだが、着くのが嫌いだ。」という有名な格言がある。いわゆる人生において本当に大切なのは「目的・結果ではなく、プロセスだ」と俗に言われるもので、アインシュタインにかかると短くて誰もが納得するフレーズになる。やはり物理学の天才は文章の天才でもある。
※写真: アルベルト・アインシュタイン、Wikipedia、最終更新2016年12月19日、引用
よく考えると、人間は生まれてから死ぬ直前まで「旅行」であり、死んだ時が「着く」わけだ。人生=旅行だと看破している。ちなみに英語で旅行を意味する “journey” は(人生などの)行路・遍歴を意味している(英和辞典 Weblio辞書)。そういう観点ではアインシュタインがこの概念の創始者ではない。一般的な考えを分かりやすく表現したに過ぎないとも言える。
「就職」が目的で「教育」は手段?
たとえるに教育課程は社会に出る前の準備段階だが、これを過度に強調すると、「就職」が目的で「教育」はプロセス(手段)となる。それは一面の真理であるが、そうなると途端に教育課程がつまらなくなる。教育・学習というプロセスはスポーツで言えば厳しいトレーニングにあたり、辛く苦しいものと捉えがちだ。
短期的なら良い。短い期間であれば、辛く苦しい経験も時に人間には必要で、とくに若い人々は容易に(?)耐えられるだろう。しかし何年にも渡るとなると話は違う。中長期間で苦しい経験をすると、人間にとってデメリットは大きい。端的に言えば、例えばガン細胞は体内に増えるだろうし、自律神経がやられ心身ともに変調をきたす。
勉強=好奇心の探訪
しかるに教育や学習・勉強という行為そのものがアインシュタインのいう「旅行」であり、例えば将来の新たの旅行(=就職)につながるものの、直接的には関係ないととらえれば、これは面白いことになってくる。勉強そのものにまず意味があって、つまりはそれは好奇心の探訪であり、何のために勉強するのかという疑問・命題は(極端に言えば)あえて無視する。
そうなると学校の勉強というのはただ単に知的好奇心を満たすだけの存在となり、すなわち単なる “楽しみ” になる。もちろん極論であるのは重々承知しているが、こういったマインドセットで教育というものをとらえると、俄然おもしろみが増してくる。
「受験」は勉強という “旅” を楽しむための口実
つまり目的を持つのは良いが、いやむしろ目的やゴールは持つべきで、結果にもこだわるべきだとは思うが、あくまでそれは勉強するための “手段” だ。各種資格試験や大学入試などの「受験」は一つのゴールであるが、それは勉強というジャーニー(旅行)に出るための口実にすぎない。目的地が無いと旅程を組めない(組みにくい)のといっしょで、やはり勉強という行為にはゴールが必要である。
しかしゴールはタダの便宜上のものでもある。本来は勉強そのものが、人々の好奇心を満たすという要素を多分に内包している。こう考えると、勉強という行為がとても魅力的なものに見えてくる。人生は旅であり、勉強も旅である。誰もが「旅は好きだが、着くのが嫌い」なのです・・・と言ったら言い過ぎか。
※参考資料:
・アルベルト・アインシュタインの名言格言を集めました、NAVER まとめ、 更新日2015年03月31日
・journeyの意味、英和辞典 Weblio辞書
・マインドセットとは、ビジネススクールならグロービス・マネジメント・スクール