受験テクニックより本質を


※画像: ロバート キャンベル(@rcampbelltokyo)さん、Twitter、引用

センター試験は良問揃い

受験勉強、とくに大学受験勉強は無味乾燥で情操教育に良くない、みたいな論調がありますが、はたしてそうでしょうか。例えばセンター試験の「英語」。基本的な発音や単語、文法問題に語法に会話、格調高い論文類や時事英語系に加え、分かりやすく面白い広告・宣伝関連の文章も出てきます。非常にバラエティーに富んでいますし、バランスもいい。決して「無味乾燥」なテストではありません。

試験自体はよく練られて作らえているのに、無味乾燥と言われる所以は、それに取り組む教師というか教育プログラムというか、教える側にも問題があると思う。もちろん、時間的制約の中、センター試験を受験する生徒たちに効率よく “訓練” するために致し方ないかもしれませんが、受験テクニックに偏ったトレーニングはやはり良くない。

受験テクニックより本質を学ぶ

つい名前を出してしまうのですが、”世界一わかりやすい英語” のキャッチフレーズで有名な関正生先生。常に英語の本質を追求して、それをベースに教えるので、実にわかりやすい。世界一かどうかはともかく、日本で五指に入る「わかりやすい英語」(の授業)であることは間違いない。

受験テクニックも随所に出てきますが、やはり真骨頂はその背後に隠れている「裏情報(?)」です。英語が持つ歴史、すなわち英国がたどってきた辛苦の歴史を織り交ぜつつ、大学の先生が英語をどうとらえて、どういう気持ちで試験に出題するかまでカバーします。さらに当然ながら、高校生や高校の教員のメンタリティーや英語教育における制約なども織り込んでいます。

関先生が教える 世界一わかりやすい英文法の授業 (中経出版)

大変面白く、勉強になり、かつ無味乾燥ではない。これぞ “世界一わかりやすい英語” ここにありです。英語は語学であり、語学は民族の歴史である。たぶん関先生の教授法の根底にはこんなポリシーがあるのだろうと思います。

語学は歴史である

そして日本語も同じでしょうね。日本語も語学であり、語学は歴史である。そう考えると、高校生が基本的に現代文だけでなく古文や漢文も学ぶのもうなづけます。やはり日本の「大学生」になるにあたり、古文や漢文は教養として必要なわけです。

ロバート・キャンベルさんみたいに日本文学・歴史の専門家になる必要はありませんが、日本人が日本語をしゃべり、日本に住んでいる以上、そのルーツである日本語の歴史や変遷にも気を配りたい。これは日本史や古文・漢文を苦手とする筆者の反省でもあります。

語学が持つ紆余曲折のヒストリーと文化背景を認識することが、まわりまわって語学を正しく理解し、身近に感じさせる。さらに語学への取り組みの場合、その文化背景や歴史経緯がただ単に重要というだけでなく、おそらくは勉強時間をも短縮させる効果も期待できる。なぜなら単語や文法の意味合いがイメージしやすい、すなわち腹に落ちやすいからです。

ロバート・キャンベルさんや林修先生、そして関先生を見ているとそう思わずにはいられません。

※参考資料: ロバート・キャンベル、Wikipedia、最終更新2016年12月05日

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