教育で足りないのは動画分野?

日本の教育、というか世界の教育分野でも共通かと思うのですが、これからの時代、「語学・数学」に次いで、「画像(特に動画)」分野のカリキュラムが重要になると思います。それはどういうことか。

人と人を結びつける「語学」

私が思うに、「語学」はやはり教育の基礎で、最も重要な分野です。なぜなら、人間のコミュニケーションは「語学」をベースに行われているからです。例えば、日本人である私は常に「日本語」で人々とコミュニケーションをとり、更に自分自身の「脳内」という自己とのコミュニケーションを「日本語」でとっています。つまり、物事を考えるのも、日本語によるわけです。

もちろん、世界的に見れば、人と人とのコミュニケーションは「英語」、「中国語」、「ヒンディー語」、「スペイン語」によるものが圧倒的に多いでしょう。人口的に見れば、おそらくこの4言語で世界の約半分近くをまかなっている。特に英語は非ネイティブスピーカーの間でも、コミュニケーションに相当広く使われています。英語は事実上、世界の共通語ですね。

例えば、Massive Open Online Courses(MOOCs)では、ほとんどの資料言語は英語です。それも当然で、MOOCsを始めたのは、スタンフォード大学やハーバード大学、MITといった米国の一流大学で、当然、言語は英語です。大学の世界ランキングをみても、米国勢が圧倒的に強く、英国の大学が一矢を報いている感じです。その両国とも言語は英語です。

そのMOOCsは世界の高等教育シーンにおいて、世界的なブームになりつつあります。世界中の優秀な人材が、MOOCsのインターネット上の大学に“通い”、「英語」で勉強・研究を進めています。今後、ますます英語は世界言語になるでしょう。

ただ、ネイティブスピーカーというくくりに限定すると、やはり13億超の人口規模を擁する「中国語」もすごい。中国語は中国本土だけでなく台湾やシンガポールでも公用語で、さらに世界各国のチャイナタウンでも日常的に使われています(様々な方言もありますが・・・)。したがって、世界言語のディファクトスタンダードである英語の地位を脅かすとしたら、中国語が筆頭に挙げられるでしょう。

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マシンと人を結びつける「数学」

語学が人間同士を結びつけるツールだとしたら、数学はコンピューター同士およびコンピューターと人を結びつけるツールです。かなりざっくりとした言い方ですが、大枠として正しいでしょう。

もともとコンピューターは「電子計算機」だったわけで、2進数を基板とした計算機です。しかしプロセッサーとメモリーとプログラムのムーアの法則的な進化で、いまや言語や画像、さらに音声から動画にいたるまで、多岐にわたる“情報”を人々にもたらします。

しかし、その根っこは数学にあります。たとえば現在、人工知能「東ロボくん」(とうろぼくん)が東京大学受験の準備(受験勉強?)をされています。コンピューターも人間と同じように勉強できるのかなぁ〜と思っていたのですが、開発している新井紀子・国立情報学研究助教授によれば、そうではないとのこと。

(東ロボくんは)頭の中で過去の入試問題、各出版社の教科書、ウィキペディア、各種事典などが入っていて・・・ただ、人工知能は、それらの知識を人間のように活用できるわけではない。人工知能は文章を記号列として認識するだけで、本当の意味で理解しているわけではない。・・・
※新井紀子・国立情報学研究助教授、読売新聞、2013年11月09日、引用

まさにコレが“コンピューター”であり、非常に優秀であるものの、やはり機械なのです。しかしながら(いや、したがって)、コンピューターと数学との親和性は高い。教育現場で数学を学ぶということは、人間がコンピューターを理解することにつながります。そして、コンピューター化されたサイバー社会を生き抜く上で、必要不可欠な知識だと思う。

とりわけ、お金の話になって恐縮ですが、数学が「金融工学」と関連が非常に深いことをも考慮すると、数学を学ぶことが人生において(資産形成において?)いかに有意義であるかが分かるというものです。やはり、教育現場で数学を学ぶことは、語学と同じくらい重要な事項なのです。


第三のコミュニケーションツールは「動画」

インターネット環境が蔓延(?)しつつある現在の地球において、人々のコミュニケーションに効果的な要素は、画像や音声であり、とりわけ「動画」になるでしょう。YouTubeの世界的な席巻は周知の事実です。また、20世紀終わりには瀕死の状態であったアップルコンピュータを根本的に救ったのは、2001年に発売されたiPodでありiTunesであり、音楽・音声もまた、重要なコミュニケーションツールでしょう。

「音楽」は従来の学校教育でもカバーされていますが、「動画」を教えるカリキュラムは“無い”と言えます。「動画」という科目が無い学校教育プログラムは、近未来の社会状況を考えると、とても良くないことだと思う。言語や数学同様、動画作成技術等もそろそろ学校教育で取り上げられるべきです。なぜなら、YouTubeを見てもわかるように、簡単にネット上で動画を共有できるからです。

情報のカタチとしては、言語や数学は汎用性・抽象性の高いコミュニケーションツールです。しかし、「動画」となるとその汎用性・抽象性はガクンと下がります。つまり、「再現しにくい」わけです。例えばここに一枚の紙があるとして、鉛筆一本あれば、すぐにでも誰もが「文字」は書けるし、「数式」も同様です。しかしながら、図ならともかく「動画」となると、すぐに誰でも書ける(描ける?、作成する?)わけではない。その再現性は難しいのです。

しかし、現在のインターネット上の動画サイトを見ていると、「紙と鉛筆」的な手軽さで、よりカンタンに動画をアップロードできる時代も近いでしょう。スマートフォンやタブレットが普及し、もちろんバッテリーの“性能”も良くなり、通信料も安くなれば、「動画コミュニケーション」が人々のコミュニケーションにおいて、ある種のディファクトスタンダードになると思う。

そうなれば様々な問題も噴出するわけで、それらのリスクを減らし回避するためにも、学校教育での「動画コミュニケーション教育」が重要になってくる。たぶん、「動画」というものが、人間のコミュニケーションや情報・知識において、今では考えられないくらいの重要性を持つものになるでしょう。

2020年の東京オリンピックの頃には、日本の教育でも「語学・数学」に「動画」を加えた3分野が、“重要”な学校教育カリキュラムになるのではないでしょうか。「お・も・て・な・し」を最大限に活かすには、日本人の「動画教育」も重要なファクターになるかもしれません。

※参考資料:
ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧、Wikipedia、最終更新2013年12月22日
World University Rankings 2013-2014、Times Higher Education
人間の頭脳はすばらしい、ネット塾ジャーナル、2013年11月12日
オンライン教育・MOOCsの現状、課題、可能性 ー Courseraで東大の講義配信開始、Kisobi キソビ、2013年09月03日
MOOCs体験記 ~英語で授業を受けてみる~、京都大学新聞社/Kyoto University Press、2013年04月01日
アップル インコーポレイテッド、ネット塾ジャーナル、最終更新2013年12月29日

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