※国立情報学研究所/National Institute of Informaticsよりリンク
5月1日の日経新聞に国立情報学研究所の新井紀子教授(写真)の記事が出ていました。題して「コンピュータが仕事を奪う」。2010年に発売された彼女の著書と同じタイトルです。
この記事を要約すると、以下の通りです。
・コンピューターの将棋ソフトがプロ棋士を倒した。
・その理由は、将棋ソフトが「データ」と「機械学習」を手に入れたから。
・具体的には、「プロ棋士の指し手」(データ)をたくさん取り込み、自動的に調整する(機械学習)。
・機械学習の特徴は、判断の “根拠” は無視され、過去に下された「正しい判断」を “模倣” するだけ。
・グーグル社によれば、「機械学習」は比較的 “単純” な仕組みでよく、決め手は「データ量」にある。
・機械にできない仕事は、①高度にクリエイティブな能力と、②人間が自然にできるような仕事。
・①文化背景や心の機敏や、②初めて見る擬態語やイラストは、機械には理解できない(機械翻訳の例)。
そして、新井教授は最後にこう結論付けています。いや、結論が出ないので、嘆いて(?)います。
最大の問題は、機械で代替できない「高度人材」を教育するための効果的な手法が見つからないことにある。・・・
20世紀までの学校教育が成功をおさめたのは、教育がプログラム化でき、多くの生徒が訓練さえすれば能力を身につけられたからである。そして、プログラム学習で身に着いた能力が労働市場で十分な付加価値をもったためである。・・・
だが、プログラム化可能な知識や技能は、機械にも学習しやすかったのである。「そこそこ」知的なコンピューターの出現は、近代教育の意義を根底から揺さぶっている。
※日本経済新聞、2013年05月01日、引用
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つまり、従来の「教育」で培った人間の能力は、ほとんど「グーグルのコンピューター」の置き換わる。誤解を恐れず分かりやすく言えば、こういうことです。唯一、人間の「感性・肌感覚・勘・直感」だけが残る。このヒト独自の感性・肌感覚・勘・直感といったものを、教育する手段が無い。見当たらない。困ったものです。
ヒトは「データ」を分析し続けることで、「感性」が磨かれる
私が思うに、ヒトの「感性」といったものは、実は生まれ持ったものだけではなく、後天的に養われるものです。つまり、多くの経験、体験、勉強を積むことで磨かれる。逆説的ですが、ヒトは様々な「データ」を取り込み、多様な「分析」を試み続けることで、結果として「感性」が磨かれる。
なお、ここでいう「分析」は「機械学習」と同じと思って良い。
ですから、今後の「教育」そのものは、従来どおりの「プログラム学習」で良いと思う。ただ、今まではプログラム学習そのものがゴールだったが、今後はプログラム学習の先にある人間固有の「感性・肌感覚・勘・直感」がゴールになる。「感性」が教育の目的で、「プログラム学習」はあくまで手段になる。
人間がコンピューターと同じ方法論で、ある程度の量の「データ」を「分析」(=機械学習)すれば、コンピューターの気持ち(?)もわかるし、その結果、人間固有の「感性」も磨かれる。そうなれば、感性のある人間はコンピューターを使いこなせるでしょう。
■コンピューターの仕事の範囲 → データ+機械学習
■人間の仕事の範囲 → データ+分析学習+感性
新井教授の記事を読んで、こう思いました。「そこそこ」知的なコンピューターの出現により、ヒトの教育と仕事のハードルが上がってしまったのは、事実でしょう。大変な時代になったものです。
ネット塾の活用で「感性」までも磨く
しかしモノは考えようです。学習機会の自由度が高いネット塾(インターネット学習塾・オンライン予備校)を活用するなら、十分に「感性」の域まで達することができると思う。つまり、従来のリアルな教室などの学習形態より、場所や時間にとらわれないネット塾ならば、ヒトは比較的容易に「データ+分析」の学習を続けることができます。
その “結果”、様々な「感性」に優れた人材が生まれることが、期待できます。やはり、ネット塾は時代の要請にマッチしているのです。
※参考資料: 新井 紀子、国立情報学研究所/National Institute of Informatics