※写真: アメリカ経済論Ⅰ | 2 企業経営の歴史的変遷、講義レジュメ:アメリカ経済論2014、中央大学商学部・平野研究室、引用
教育工学の成り立ち~初期
産業革命以降、物作りは徐々に自動化の道を歩み始めた。・・・この流れ作業の図式を教育に応用しようと、出現したのが教育工学である。すなわち、
1. 材料を、生産計画に合わせて工場に投入
2.工場から出てきた製品を計画と照らし合わせて検査
3. 問題がなければ出荷という一連のプロセス(テイラーシステム)を教育に置き換え、
1. 未教育の子どもを、教育計画に合わせて学校に入学させる
2. 教育を終えた子どもを計画と照らし合わせて検査(学力検査、テスト)
3. 検査結果に問題がなければ卒業というように考えた。・・・この、教育プロセス及び教授技術のマニュアル化を行うために発生した学問が教育工学である。
※教育工学、Wikipedia、最終更新2014年02月13日
学校=工場?
知っていました? Wikipediaで「教育工学」をみたら、産業革命以降の教育というものは「工場の流れ作業を教育に応用」してきたそうです。ちょっと衝撃的ですね。子どもは「工業製品」かよ!とツッコミたくなります。
でも、冷静に考えると、しぶしぶながら納得です。ある意味、学校教育とは工場の生産ラインと同じ性質を持ち、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。偏った見方かもしれないが、否定はできない。つまり「学校=工場」なのです。
産業革命で大量の労働者が必要に
18世紀に始まった産業革命で、大量の労働者を必要とした工場のオーナー(資本家)たちが、工場で働く従順で真面目な知的労働者(ここで言う知的とは俗に言う “読み書きそろばん”)をたくさん “作ろう” としたのは当然の成り行きだった。資本家は政府と組んで公的な形で「学校」という名の「労働者生産工場」を国のいたるところに建てた。
学校では生徒・児童は朝9時前に出勤(?)させられ、50分勉強しては10分休み、お昼休みまで勉強した。午後も13時過ぎから16時前まで、やはり50分授業と10分休みを繰り返した。学校では整然とした集団授業を基盤とし、工場のサイレンならぬ学校のチャイムで、時間厳守は徹底させられた。
つまり、教室というある程度の広さの「作業場所」が決められ、40〜50人前後の「集団行動」が決められ、規則正しい「時間管理」が決められた。これは工場労働者の守るべき3つのルールと一致する。まさに学校は人材製造工場なのです。
情報収集・加工・提供
学校教育は工場労働者育成機関として産声を上げ、社会に「読み書きそろばん」ができる知的な労働者を “生産” してきた。それはそうなのだが、今やこの日本では工場は中国その他海外に移転し、円安で一部は戻ってきているものの、今後も製造業を中心に国創りを推進するのは無理だと思う。
そうなってくると、日本経済は今まで以上にサービス業が中心となり、学校教育もサービス業に従事する社会人をいかに生み出すか、が目標となる。サービス業はいかに情報を集め、加工し、効果的に提供するかがカギとなる。介護医療系会社も、各種コンサルタントも、労働者派遣も、観光産業も、不動産仲介も、IT企業も、広告代理店も、金融関係も、そして教育産業も・・・。
こういったサービス業はただ単に、集団行動・時間厳守・支持命令を守ればよい・・・という世界ではない。工場労働者とは求められる特質が違う。広い意味でなんらかのクリエイティビティ(創造力)が要求される。業種によって創造のレベルはイロイロだが・・・。
“反転授業” への流れも
そういう社会経済状況で、学校教育に求められるのは、やはりなんらかの「創造力」の必要性です。自分でうまく情報を集め、加工し、提供していくチカラである。そう考えると、IT(ICT)を教育に活用することは理にかなっているし、一部で注目を集めている「反転授業」も一つの流れでしょう。
学校の授業で情報・知識を生徒に教えるのではなく、ITで情報・知識を生徒自身で学んでもらい、学校ではその後の各自の創意工夫で(少しでも)新しい物を提供してもらう。そういった “工房” みたいな潮流が、一つの学校教育のあり方になるのかもしれません。学校教育ならぬ「ワークショップ教育」ですね。
※参考資料:
・産業革命、Wikipedia、最終更新2015年08月27日
・第三の波 (中公文庫 M 178-3)、中央公論新社、1982年
・Category:日本のサービス業、Wikipedia、最終更新2015年08月11日