・・・いま僕は、インターネットが最高学府としての大学の地位を脅かしつつあると考えています。もはや、最高学府は東京大学でも、ハーバードでも、オックスフォードでもありません。現代における最高学府は、インターネット上にあるといっても過言ではないでしょう。・・・
※脳を活かす勉強法、茂木健一郎著、111ページ、引用
論文など大学コンテンツはネットに拡散
「最上の教育はWebから」でも似たようなことを述べましたが、要は論文をはじめとして大学図書館や研究室にある情報は、ほとんどネット上で探せる。つまり、かつて大学が独占していた情報、すなわち“大学・学術コンテンツ”は、今やネット上に拡散している。
だから、やろうと思えば、かつては大学でしかできなかった研究活動も、ネット上で誰でもできてしまう。最近(2012年以降)はMOOC(大規模公開オンライン講義)もあるので、大学における「研究」だけでなく「教育」部分も、ネット上で誰でも享受することができる。
居場所としての大学の価値
しかしそうは言っても、大学に入らずに自分だけで深い独学や研究活動を行うのは、相当の精神力を必要とします。普通にその辺を歩いている兄ちゃんやおっさんが、簡単に「安藤忠雄」にはなれないのです(安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書)。ちなみに、世界に名高い建築家・安藤忠雄氏は、学校に行かず“独学”で高度な建築学を修めた(究めた)わけですが、これはおそらく世界でも初めての事例(成功例)だと言われています。
安藤氏の例はレアケースだとして、一般的に考えて、研究・勉強の居場所として、大学は価値を維持し続ける。私はそう感じていました。しかし・・・
このビデオは強烈です。ホリエモン(堀江貴文氏)や茂木先生らが出てくるのですが、結論を言えば「大学不要」と言い切っています。それも、①論文などがインターネットで取れる、という意味だけでなく、②居場所としての大学も不要だ、と主張しています。②に関して言えば、研究等の居場所の例として、ソーシャル・ネットワーク(SNS)を上げています。
大学の時代は終わった?
今のところ、学校教育法に基づく学位を出せるのは、ほぼ「大学」だけです。なので、この法規制に守られている限り、大学は「箔付け機関」(失敬!)としての価値を持ち続けるでしょう。でも、このご時勢、法改正なんてある意味「一瞬」で行われる。いつまで、大学の既得権益が残るか、正直わかりません。
つまり実態的には、「大学の時代は終わったね」(茂木健一郎氏)という辛口のコメントも、あながち誇張ではないかもしれません。ちょっと身もフタも無い言い方ですが・・・。
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自らテーマを探して、自ら研究する
私が思うに、大学の本質的な価値は、「自らテーマを探して、自ら研究する」ことであり、大学はその“居場所”だと思う。人間、特に私のような凡人は、環境に流されやすい。はがねのような意志など持ち合わせてはいない。ですから、“居場所”が有るか無いかで、モチベーションや行動力が大きく違う。
実際、昔は大学に行かないと、「自らテーマを探して、自ら研究する」など、ほとんどできなかったでしょう。例えば、会社勤めのサラリーマンで、残業とストレスでクタクタなのに、夜と休日は“趣味”の物理学と数学で、息抜きしています!・・・なんてヤツは1万人に一人でしょう。社会に出れば、「自らテーマを探して、自ら研究する」なんてことは、まず、ありえない。
しかし、今は大学に行かなくても、ネットでググれば、「自らテーマを探して、自ら研究する」経験など、たやすくできます。おまけに、FacebookなどのSNSで、研究の“居場所”を求めることだって、可能です。こうなってくると、従来の大学の本質的価値は急速に薄れていく。
オンライン大学・オンライン学位の台頭?
今はまだ実現していないみたいだけど、近い将来MOOCで「学位」が取れるようになれば、企業や役所等もだんだんそれを認めるでしょう。“オンライン学位”の社会的地位が高まれば、MOOC卒業生の就職活動は必然的に有利に展開されるでしょう。そうなると、従来の大学の時代は終わり、ネット塾ならぬ“オンライン大学”が主流になるかもしれません。
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※参考資料:
・最上の教育はWebから、ネット塾ジャーナル、2013年11月13日
・安藤忠雄、Wikipedia、最終更新2014年08月03日
・Massive open online course、Wikipedia、最終更新2014年04月16日
・学位、Wikipedia、最終更新2014年04月19日