※画像: 教員の離職率(2009年度)②、データえっせい、2012年04月01日
日本の先生、世界一多忙なのに指導には胸張れない
経済協力開発機構(OECD)は25日、中学校教員の勤務環境などの国際調査結果を発表した。日本の教員は指導への自信が参加国・地域の中で最も低く、勤務時間は最も長かった。理解が遅い子に合わせた指導をする割合やICT(情報通信技術)を利用する割合は低い。多忙な中、指導に集中できずにいる教員のすがたが浮かび上がる。・・・
※朝日新聞デジタル、2014年06月26日、引用
教職は“ブラック”な職場?
以前「“悩める先生”を支え抜く」でも書きましたが、まぁ教員(特に中学校教員)は大変です。①膨大な事務処理に、②アカデミックな専門知識とコーチングのノウハウ、さらに③密で複雑な人間関係・・・を強いられます。時には(しばしば?)肉体的・精神的な暴力にさらされ、なおかつ、先生方はしぶしぶ“泣き寝入り”させられることもあるでしょう。
ある意味、中学校教員というのは恐ろしい職業であり、適正のない人間にとって“ブラック”な職場であると言っていい。教員の間でうつ病が蔓延しているのも、仕方のないことかもしれません。
ゴールはあいまいなのに、要求レベルは高い
別の観点からも、業務遂行に厳しい面もあります。すなわち、義務教育である小学校・中学校の場合、教育のゴールが広域にならざるを得ない。言い換えれば、小中学校を卒業させるにあたり、明確な“卒業生像”というものが設定しにくい。教育目標がどうしても「豊かな人間性をはぐくむ」みたいにあいまいになる。
そのくせ、世の中はIT化、グローバル化でどんどん進歩し、複雑怪奇(?)になってきています。例えば、中学教育においても、やれ「グローバル化に対応せよ」とか「サイバー教育をもっと導入せよ」とか、要求レベルが複雑かつ高度になってきています。予算も人員も設備も限られている初等教育の現場に、そんなにイロイロ要求するなよ!・・・と個人的には思うのですが。
したがって、まじめな教員ほど悩み・落ち込み・自信をなくすわけです。今の日本の教員が指導へ自信を失っているのは、構造的な原因がほとんどだと思う。
上記の朝日新聞の記事でも、教員が生徒の「提出物の点検」に、かなりの時間と労力を割く様子が書かれています。いわく「・・・毎日提出させる生活ノートや家庭学習帳、定期テスト期間中の学習計画表。いずれもクラスの約30人分ある。生活ノートには赤ペンで必ず一言コメントを書き込む・・・」そうです。
無駄な作業は削り、ICTに置き換える
あまり教育現場に効率性を持ち込んではいけないのかもしれませんが、例えば、「生活ノート」はクラス全員必修としても、「家庭学習帳」や「学習計画表」あたりは、テストのスコアが悪い生徒のみを対象にしてもいい。劣等感を刺激するなどの問題もあるでしょうが、そこはやり方を工夫して、それこそタブレット等のICTを駆使して、ちょっと遊び感覚で実行するのもいいでしょう。
筆者の思いつきかもしれませんが、たとえば、グーグルのスプレッドシートあたりを利用するだけでも、「学習計画表」等は簡単に先生・生徒間でシェアできそうです。管理もチェックも楽になると思うのですが・・・。
たしかに教員の仕事はなかなか合理的に割り切れる部分が少ないので、教員の「多忙」を減らし「指導」を充実させることは難儀でしょう。しかし、それでも①無駄な作業は極力削り、②ICTに置き換えられる部分は置き換えるべきだと思う。
やはり、学校の先生方には、コア業務である「指導」に集中してもらうことが望ましい。そしてその結果として、中学校からたくさんの“人間力の高い”卒業生が続々生まれる。そうあってほしいし、この国の未来は彼ら彼女らかかっているのですから。
そして、月並みですが、いやしかし、まじめに考えて、文部科学省や教育委員会や各自治体等が、真剣にこの問題を認識してもらう必要があると思います。