よく「頭で考えるな。身体で覚えよ。」と言われますよね。これは大事なことで、人間の記憶能力と身体性とは密接に関係しているそうです。語学は特に顕在で、ドラマ「ドラゴン桜」でも英語の授業で “身体性” を利用したシーンが出てきます。
さすがに英語の授業で “ダンス” を踊らなくてもいいかもしれませんが、例えば、英語のリスニングを勉強する場合、単に「音声」を聞くよりも、洋画や海外ドラマなど「動画」を活用した方がいい。つまりそれは語学における “身体性” にも通じる話なのです。
例えばここにコップがあるとします。同時に英語のリスニング教材で「Cup」という音声を耳にします。何度かそういったトレーニングをすると、人間は本能的に「ああ、このコップは英語でCupというのか・・・」と覚えます。
ここで大事なことはコップという “日本語” がイコール「Cup」である・・・というわけではなく、目の前の(例えば)マクドナルドの紙コップが「Cup」なんだと納得する感じです。これが語学の基本的習得方法であり、いかにこれに近い感じで学ぶかが成功の鍵となります。
「ロゼッタストーン」の “身体性”
語学教材ではなんといっても「ロゼッタストーン」でしょう。基本的にロゼッタストーンはまず写真が出てきて、それに対応する外国語が音声として流れます。目の前の「絵」に対して「音声」が流れるわけで、実に自然に外国語を覚えることができます。まるで海外に行っているかのようです。
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つまりこれはロゼッタストーンでの語学学習に “身体性” があるということ。目で見て、耳で聞いて、意味をイメージして、語学そのものを習得する。要は “慣れる” ということで、そこに基本的に日本語は介在しない。異なる言語間のトランスレートは “無い” わけです。
身体性の有無
じつは人工知能の世界では、この「身体性の有無」が議論されて、それはつまり「人間の知能には身体性が付随していて、コンピューターのそれには身体性がない」という議論です。すなわち、ヒトの知能は具体的な “事象” から生まれるが、人工知能はデータAをデータBに置き換えるだけ、とも言える。
先ほどのコップの例では、現実のコップを触れてさわって、飲み物を入れて飲んでみて、人間はコップを認識し、コップ=Cupと学習するが、コンピューターは単に「コップ=Cup」という記号をデータとして記録しているだけ・・・ということです。
だから「人工知能」と銘打っていても、コンピューターには身体性がないので、ただデータをつなぎ合わせているだけです。人間には目・耳・鼻・舌・皮膚という五感を使って、常に身体性をともなった学習をしています。これがコンピューターと人間との学習の仕方の違いを生み出していると言える。
自然体で勉強
勉強のやり方という点で、コンピューターは大量のデータを記憶(記録)し情報処理をしますが、人間がこれを真似することは現実的ではありません。であるならば、人間固有の身体性を活かし、できるだけ自然体で勉強した方がいい。
例えば英語学習であるならば、前述のロゼッタストーンのような教材以外にも、YouTubeの英語動画やHuluでの海外ドラマや洋画を視聴することも十分に「身体的」な語学学習方法だと思います。その際に重要な事は、耳だけでなく目でもフルに使って、語学の雰囲気を “見て” 体得することでしょう。この「体得する」感覚が、人間に元々持っている “身体的学習能力” だと思います。
※参考資料:
・身体性、Wikipedia、最終更新2013年07月01日
・人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)、松尾豊(著)、2015年