9日の日経新聞夕刊に、「センター試験 なぜ廃止検討?」という記事が載っていました。いわく、3つの主な理由があり、弊害が目立ってきたそうです。
・・・弊害が目立ってきたからです。①毎年、6教科29科目全てで質の高い問題を作るのは容易ではありません。平均点を60点にそろえることが目標ですが、科目間のばらつきは避けられません。②難関大学では受験生の学力が高く、十分な選抜機能を発揮できないとも言われます。・・・一方、難関大学を目指す受験競争は激化しています。1点刻みの競争に勝ち抜くため受験技術に特化した勉強が盛んになり、別の問題が浮上しました。③最初から正解が用意された問題を解くのは得意でも、自ら課題を見つけ解決するのが苦手な学生の増加です。・・・
※①~③の番号は、筆者が追加で記載。
※日本経済新聞、2013年12月09日夕刊、日本経済新聞社会部・横山晋一郎編集委員
主な弊害は、①29教科で質の高い問題を用意し、かつ平均点を揃えるのが困難で、②難関大学にとってはやさし過ぎ、③マニュアル人間ばかりが生まれる・・・ということ。
しかし、これって最初からわかっていたことでしょう。従来の欧米に追いつき追い越せのニッポン経済なら、③は問題ないし、むしろ効率性が高まり、社会にも経済にも有益だった。②も難関大学は、独自の二次試験を課しているので、実質的に回避していると思う。①が大変なのはわかるが、良質な試験問題作成は大学入試センター側の腕の見せ所でしょう。
なんだか分かったような分からないような「廃止議論」です。
背景にあるのはグローバル化
しかし、少し俯瞰してみると、背景にあるのは経済のグローバル化だと思う。日本経済を取り巻く環境がグローバル化し、従来の手法が通じなくなりつつある。過去の先例にとらわれず、柔軟に未来を見据える必要性が増加しています。なんせ、例えば「お金」自体も、数学的アルゴリズムに制御されたBitcoin(ビットコイン)に移行している時代ですから・・・。
かつて経験したことの無い世界が、今のです。日経新聞の横山編集委員いわく「グローバル化の時代に日本が生き残るには、新しい技術や仕組みを生み出せる人間性豊かな人材が不可欠」なのです。そこで大学入学試験を変えて、“人間性豊かな” 人材を大学、そしてその先の企業に迎え入れよう・・・という魂胆(?)です。
まぁハッキリ言えば、産業界の要請で画一的なセンター試験はやめよう、という話です。
試験で「人間性豊かな」人材を選ぶ・・・(?)
そこまでは理解できます。しかし、「人間性豊かな」人材を選抜する「試験」というのはいったいどんな試験なのでしょう。これは難しい。白紙の紙を生徒に渡して、好きなように答えを書きなさい・・・みたいなノリでしょうが、採点する側に客観的な評価基準が無い。これはホントに難しい。
それにそもそも、大学は「人間性豊かな人材」を入り口で “選抜” するのではなく、4年間で “育成” するべきだとも言えます。そう考えると、入試は今のセンター試験でも十分ではないか・・・とも思えます。
千葉県のある公立高校教諭は言います。
結局、新しい入試改革は文部官僚や大学総長など挫折知らずで教育現場の実態を知らない人たちが机上で設計しているだけ。いまのセンター試験は良問ぞろいで完成されているし、高校2年までしっかり勉強していれば解けるのが前提となっているにもかかわらず、わざわざ基礎と発展に分ける意味がどこにあるのでしょうか。
※センター試験廃止「一貫校と予備校が得するだけ」と高校教師、NEWSポストセブン、Yahoo!ニュース、2013年10月23日、引用
ズバリ、その通りだと思う。角度を変えると、産業界の大学への要請は、あくまで4年間の大学教育内部で対応すべきです。センター試験を廃止するなどの「入り口」で対応すべきではない。いや、対応できない。
つまり「入試は画一的」、しかし「大学での教育は人間性重視」。この路線が正しいと思う。